
2022年3月22日
画像提供,
BUCHENWALD AND MITTELBAU-DORA MEMORIALS FOUNDATION
画像説明,
ロマンチェンコさんは1942年から1945年までの間、4つの強制収容所で過ごした
第2次世界大戦中のナチス・ドイツによるユダヤ人などの大虐殺(ホロコースト)を生き延びたウクライナ人男性が、ウクライナ北東部ハルキウ(ハリコフ)でロシア軍の攻撃により死亡した。
死亡したのはボリス・ロマンチェンコさん(96)さん。18日にハルキウにある自宅アパートがロシア軍の砲撃を受けて亡くなったと、遺族が発表した。
ロシア軍は国境からわずか50キロに位置するハルキウに対し、3週間以上にわたり激しい砲撃を続けている。
ウクライナ当局は、ロシアの侵攻により、これまでに少なくとも500人のハルキウ市民が死亡したとしている。
警察は犠牲者の1人について、9歳の男の子だと確認されたと発表した。
ロマンチェンコさんが副代表を務めていた、ドイツのブーヘンヴァルト・ミッテルバウ=ドーラ記念財団は遺族から連絡を受け、「深く心を痛めている」と述べた。
そして、ロマンチェンコさんは「ナチスの犯罪の記録に熱心に取り組んでいた」とした。
「私たちは親しい友人の死を悼んでいる。この悲しい知らせを伝えてくれた彼の息子と孫娘が、この困難な時期に元気を出してもらえるよう祈ります」
ロシアのウラジーミル・プーチン大統領は国民に対し、ウクライナの「非ナチス化」を実現するためだとして、ウクライナ侵攻を正当化しようとしている。
西側諸国の指導者たちからは、こうした主張に非難の声が上がっている。ウクライナのヴォロディミル・ゼレンスキー大統領がユダヤ系であることを指摘する人もいる。
画像提供, BUCHENWALD AND MITTELBAU-DORA MEMORIALS FOUNDATION
画像説明,
2012年のブーヘンヴァルト強制収容所開放67周年の記念式典に出席したロマンチェンコさん(右から2人め)
ロマンチェンコさんは1926年1月20日、北東部ボンダリで生まれた。財団側によると、ロマンチェンコさんはソ連に侵攻したナチス・ドイツによって1942年にドイツに強制的に送られ、重労働を強いられた。
1943年に脱走に失敗し、ブーヘンヴァルト強制収容所に送られた。この収容所では、1945年4月にアメリカ軍による解放までの間、5万6545人が殺害された。
ロマンチェンコさんはミッテルバウ=ドーラ、ベルゲン・ベルゼン、ペーネミュンデの各収容所でも過ごした。
ブーヘンヴァルト強制収容所解放67周年の2012年に、現地を再訪したロマンチェンコさんは、「平和と自由が君臨する新たな世界」を作るという、ホロコーストの生存者の誓いを朗読した。
ナチス政権は1941年から1945年にかけて、占領下の欧州各地で600万人以上のユダヤ人を殺害した。
(英語記事 Holocaust survivor killed in Ukraine shelling)